坊主先生のお笑い珍道中

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歌集づくり

高学年にもなると好きなアーティストとかに夢中になります。僕の時代は、ミスチル全盛期でした。懐かしい

 

千葉大学名誉教授の首藤久義先生と仲間の先生が取り組んだ歌集づくりという実践に挑戦しました。

 

これは、デューイのお弟子さんの、キルパトリックさんのプロジェクト学習の考えを生かしたものだそうです。

 

キルパトリックのプロジェクト学習については勉強中です。

 

自分で好きな歌詞を選んで模写し、ふりがなふったり、分からない語句を調べたり、好きな理由やアーティスト情報を書いたり、自己紹介を書いたりします。

 

最後にみんなのを合わせて一冊の歌集の完成です!

 

やってみて感じたのは、目的が明確なので自分のペースで進めることができていました。

 

次に自分で選んだ歌詞というのがやりたいって気持ちを引き出していました。自己選択してます。

 

分からない語句を、ipadや辞典でどんどん調べます。

 

アーティスト情報は、とても細かく読んでて面白かったです。

 

歌集づくりの中に国語の大事な要素が詰まっていました。模写、語彙、感想、自己紹介。

 

完成度を高めるより、それを作る過程が楽しそうです。

 

プロジェクト学習で起こりがちなのは完成度を高めようとして、子どものペースを乱したり、やろうとしているこ以上のことを求めたりして、子どもの学びを奪うことです。

 

次は、本のpopづくりにチャレンジします!

 

楽しみです!

 

 

授業を参観するということ

人の授業を参観してる時、人は何を観て何を感じ、何を考えているかが気になりました。


何人かの方々に質問してみました。

岩瀬さんが記事にまとめています。なるほどー

教室に行ったときに見ていること。 - いわせんの仕事部屋


というのは、授業を参観するときついつい、先生ばかり観ちゃうからです。


僕も研究主任の仕事は、良さを見つけることって考えて、先生の良いところを探すようにしてきました。


そうなると、事後研究会も先生の手立てはどうだったとか、柔らかいですねーとか、そんな話になります。


あれっ。学んでいるのって子どもなのに、、、子どものことはよく見てなかったなって感じました。先生にばかり注目していました。それだと、先生もプレッシャーを感じますし、揚げ足取りになる可能性だってあります。


子どもや先生の発言を克明に記録する授業記録をとり、それを基に分析する方法にチャレンジしたこともあります。


この方法は、一斉で話し合う授業をベースにしているので、そうでない授業の際は一人では全て記録できなくなります。そもそも記録は発言だけでいいのかという疑問も湧きます。


要は、どんな方法でもいいですが、自分の授業を参観する目的について少し考えておきたいなって思いました。


校内で授業を参観する際は


先生の良いところを探したい

子どもが生き生きした姿を探す

子どもが生き生きしていない姿を探す

この子がどんなことを感じているのか想像する


こんな感じでしょうか。生き生きした姿を生んだのはなんでかなぁとか、生き生きしていない学びにしているのはなんでかなぁとか。これは、協議会につなげる視点です。


僕の興味が惹かれるのは、一人の子の表情や仕草や言葉を見ながら、その子のことを想像することです。


日頃、授業をしていると一人の子を45分間ずっと考え続けることはできないからです。


少しでも子どものリアルに近づきたいって思うからです。


想像したから、それが何に役に立つってわけじゃないんですが、ゆっくり子どものことを考える貴重な機会です。


そんな時、僕の紙には、その子の表情や仕草、言葉とかそんなもんが記録されてます。

それを見たときの自分の感情もです。

自分が集めたノンバーバルな情報も含めた情報をたよりに、自分が感じ、考えるしかない。めちゃくちゃ主観です。


人のことって結局わかりえないんだけど、わずかな情報をたよりに理解しようとする葛藤はいつも感じているけど、ついつい子どものことをわかった気になってしまいます。分かり得ないって前提を忘れちゃうんですよね。


だから子どものことを雄弁になんて僕は語れない。そうかなぁ、そうかも、ぐらいです。


そのことを思い出させてくれるいい機会なのが僕にとっての授業を参観する意味の一つです。


授業を参観すると分かった気になる自分の傲慢さに気づかせてくれます。


そして、またそのことを忘れちゃうんだよなぁ

 

そんなもんです。

輪になるということ

人と話すのは難しい

 

自分の心が忙しくなる。不安になったり、聞くのに疲れたり、違うことを考えたり、深く共感したり、何を話そうか思案したり

 

とにかく忙しいのだ。

 

心を亡くすで、忙しい

 

人一人と対話するってすごくエネルギーを使う。

 

対話的な学びと教育の世界で言われる。

 

全ての学習が対話的だと、すごく疲れるだろう。

 

話したくない時は話さなくていい。沈黙が許される、分からないが許される、だれか話すのが得意な人たちが中心になるんじゃなく、声なき声も届く場

 

そんなことを考えている。

 

輪になる。

 

その昔、大切な火を囲み語り合ったといわれる輪

 

ぐるぐる回る

 

順番にボソボソって話し始める、そんな瞬間を大事にしたいって思う

 

輪になって話すのは、見た目は学校がイメージする対話じゃないかもしれない。誰かに応答し合うことより、ただ話し、ただ聞くだけ。

 

ただ、そこにあるということ

 

それだけが認められるそんな場がたまにはあっていい

 

朝の会で輪になって座る。ちょっとした話題で順番に話して朝がスタートする。

道徳の時間に、テーマについて順番に話す

 

そんな些細なことを大事にしたいって思う

 

 

 

 

深い学び

深い学びとよく言われます。

 

深い学びとはいったいなんでしょうか?

それ以上掘れないような学び?

深いとか浅いとか誰が決める?

 

うーん。なんか、哲学的、、、

 

答えがなさそうです。

 

教科を学びながら答えのない問いに出会っていくような学びがいいなって思います。

 

社会で工業を学んでいたら、工業の発展でほんとに私たちの暮らしはよくなったのか?なんて、議論をしてもいいなと思うのです。

 

毎朝、クラス会議をしています。たまには、そんな中でも、答えのない問いをみんなで話してみてもいいかなって思います。

 

学習財にどんな価値を見出すのか、そんなことを考えると面白そうです。

 

この本を読んで感じました。

 

哲学の使い方 (岩波新書)

哲学の使い方 (岩波新書)

 

 

哲学がいったいなんの役に立つのか?そんなことを考える必要がないのか?

 

そんなことを考えさせられました。

 

おとなの背中

昔は分からなかったこと。今は身にしみて分かること。

 

そんなことがあります。

 

僕らは生まれてからずっと誰かとのかかわりの中で生きていて、時にはそれが鬱陶しくなったり、時には激しくそれをもとめたり、平穏に過ごしたり、、

 

何かを学ぼうと思って学ぶこともあります。学ぼうって思っていなくても、心が惹かれていくこともあります。その時はこのやろーって思っても、後で納得できることもあります。

 

誰かの背中。

 

いつの間にか、僕らの中にどんどん溜まっています。

 

 

おとなの背中 (単行本)

おとなの背中 (単行本)

 

 大好きなエッセイ集です。

 

僕は、ちょっとした時に何度も手に取ります。

 

  子どもたちの毎日も、苦しいこともあれば楽しいこともある。その全体を「崩壊」「危機」といったおどろおどろしい言葉で包み込んでしまうこと、そういう声にみながいっしょに乗ることに、わたしには少なからぬ抵抗がある。

  が、他方で、教育についての議論は、話が軽すぎる。「生きる力」とか「体験学習」だとか「食育」だとか、かんたんに言いすぎる。「環境にやさしく」「地球にやさしく」「共感と共生」「ちょボラ」などという、子どもだってすぐにその「偽善」を見抜くような軽いキャッチコピーが、教育の現場に持ち込まれすぎる。

 

今回はここを何度も読み返しました。問われているのは大人の誠実な姿。

生きることは、ずるいことも、さぼることも、がんばることも、逃げることも、助け合うことも、いろんなものを包含している。正しいことばかりを綺麗に言葉で伝えるのではなく、生き様を語り、見せ、一緒の時間を過ごすという誠実な姿が大事なんじゃないかと思う。

 

それは、互いの信頼やつながりを生む。

 

人間関係は技術じゃないということを忘れずに。それを分かった上での技術なんだと思った。

 

もっと自分の生活のこと、最近読んだ本のこと、友達のこと、いろんな話を教室でしていいんだと思う。

子どもは分からない、でも分かろうとする

子どものことが分かりたいって思います。自分も子どもだったようにまた一緒にあーだこーだ言いながら生活できたらって思います。

 

でも、悲しいことに僕は歳も取り、中年真っ最中なわけです。

だから、一緒のようには過ごせない。

 

それだから、子どもの言葉や表情や行動でなんとかその子のことを捉えようとする。

あの子は、こんな気持ちかなとか、いろいろ考える。

 

でも、その子の心の動きはやっぱり分からない。分からない前提にたって、理解しようとしている。

 

だから、悩むし、答えはないし、葛藤します。ただ、おかげで決めつけないようになりました。

 

僕の目には今、こう映っただけで、その子の全てが分かるわけがない。映った情報をたよりに、こうしよう、ああしようって即興的に考えていくのが僕らの仕事だ。

 

うまくいかないことだっていっぱいある。

 

 

 

クラス会議のきっかけ

クラス会議をするきっかけは仲間と読んだこの二つの本でした。

クラス会議で学級は変わる!

クラス会議で学級は変わる!

 

 

クラス会議で子どもが変わる―アドラー心理学でポジティブ学級づくり

クラス会議で子どもが変わる―アドラー心理学でポジティブ学級づくり

  • 作者: ジェーンネルセン,H.ステファングレン,リンロット,諸富祥彦,Jane Nelsen,H.Stephen Glenn,Lynn Lott,会沢信彦
  • 出版社/メーカー: コスモスライブラリー
  • 発売日: 2000/10/01
  • メディア: 単行本
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見よう見まねでクラス会議を続けてきて、自分も学んだことがあります。

 

まず、子どもがこの時間を大切に、そしてたのしみになってくれているなぁって思います。

 

フランクなリラックスできる場をつくるためには、教師の笑顔や、振る舞いということも大事です。そして、なぜクラス会議をするのかを、語ることです。思いを共有するって大事です。

 

仲良くなりたい。

支えあっていこう。

安心して自分の話ができるクラスにしよう。

 

そんなことを折に触れて話しています。絵本を使うのもいいです。

 

あとは、毎日毎日、やることがコツです。毎日やるから慣れてきます。