坊主先生は嘘つかない

子どもも教師も夢中になる学級経営や、校内研修の解説書です。僕の全てを伝えます。誰でもできます。

教えることなんてできない

何も教えることなんて僕にはできない

 

僕が思っていることです。逆立ちもできないし、側転だってうまくできません。失敗だっていっぱいするし、豆はあまり好きじゃないし、アンパンマンのキャラクターも全部言えません。

 

僕にはできないことがいっぱいあるんです。

 

「先生なのにできないの?」

 

小さい子は聞いてきたりします。

 

「うん。先生にもできないこといっぱいあるよ。どうやってやるか教えてくれる?」

 

「いいよ〜」

 

二年生の子に一輪車の乗り方をわかりやすくレクチャーしてもらったけど、まったく前に進めません・・・おそるべし一輪車

 

自分にできないことは得意な子に教えてもらえばいい。そんなことを伝えたいから、積極的に子どもに聞いています。身近にいる先生が、そういうスタンスを大事にしているのをみせるとそれが広がっていきます。

 

こないだ、図工でクレヨンを重ねて塗りながら春を書きました。

 

クレヨンの達人の子がいました。その子に、みんなに技術指導をしてもらいました。そうすると、みんなもその子も生き生きしてくるし、

 

僕には一切アドバイスを求めず、その子に聞くようになりました。僕は相手にされていまでんでした・・・

 

それでいいって思っています。そうすることで、一人一人の得意なことが学級に浸透していきます。子ども達同士の方が、お互いの得意なことをよく知っています。それも、子どもに聞くとよく分かります。子どもにアンケートをとるのも素敵です。

 

先生だけが知識や技能をもっていて、子どもがその知識を授かる時代ではもうないでしょう。

 

だから、僕が意識していることは、自分が知っていることは、子どもに質問の形で聞かないということです。

 

例えば、「平清盛がやったことは何?」といった類の質問です。こんなことは自分で調べたらわかりますし、こうやって質問しちゃうと答え探しになります。

 

もっというと、この問いは、相手がそれを知っているかどうかを験すような質問です。

 

鷲田清一さんがこんなことを言っています。

 

問いとは本来、自分の知らないことを相手に聞くことだ。

 

おとなの背中 (単行本)

おとなの背中 (単行本)

 

 

だから、僕もできるだけ自分も知らないことを子どもに問いとして聞きたいです。

例えば、「平清盛が人生の中で大事にしていたことってなんだろうね?」

 

こういう問いだと、僕も一緒に探究できる。そう思っています。

 

教師も子どもも学ぶ、そんな毎日をつくりたいなって思います。

 

大人ができることってそんなに多くないです。子どもたちに「いいね」って笑顔で伝えること。それだけで子どもは育つって思っています。子どもが安心、安全に過ごせる環境を整える。そんなことに集中しています。