坊主先生のお笑い珍道中

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授業を参観するということ

人の授業を参観してる時、人は何を観て何を感じ、何を考えているかが気になりました。


何人かの方々に質問してみました。

岩瀬さんが記事にまとめています。なるほどー

教室に行ったときに見ていること。 - いわせんの仕事部屋


というのは、授業を参観するときついつい、先生ばかり観ちゃうからです。


僕も研究主任の仕事は、良さを見つけることって考えて、先生の良いところを探すようにしてきました。


そうなると、事後研究会も先生の手立てはどうだったとか、柔らかいですねーとか、そんな話になります。


あれっ。学んでいるのって子どもなのに、、、子どものことはよく見てなかったなって感じました。先生にばかり注目していました。それだと、先生もプレッシャーを感じますし、揚げ足取りになる可能性だってあります。


子どもや先生の発言を克明に記録する授業記録をとり、それを基に分析する方法にチャレンジしたこともあります。


この方法は、一斉で話し合う授業をベースにしているので、そうでない授業の際は一人では全て記録できなくなります。そもそも記録は発言だけでいいのかという疑問も湧きます。


要は、どんな方法でもいいですが、自分の授業を参観する目的について少し考えておきたいなって思いました。


校内で授業を参観する際は


先生の良いところを探したい

子どもが生き生きした姿を探す

子どもが生き生きしていない姿を探す

この子がどんなことを感じているのか想像する


こんな感じでしょうか。生き生きした姿を生んだのはなんでかなぁとか、生き生きしていない学びにしているのはなんでかなぁとか。これは、協議会につなげる視点です。


僕の興味が惹かれるのは、一人の子の表情や仕草や言葉を見ながら、その子のことを想像することです。


日頃、授業をしていると一人の子を45分間ずっと考え続けることはできないからです。


少しでも子どものリアルに近づきたいって思うからです。


想像したから、それが何に役に立つってわけじゃないんですが、ゆっくり子どものことを考える貴重な機会です。


そんな時、僕の紙には、その子の表情や仕草、言葉とかそんなもんが記録されてます。

それを見たときの自分の感情もです。

自分が集めたノンバーバルな情報も含めた情報をたよりに、自分が感じ、考えるしかない。めちゃくちゃ主観です。


人のことって結局わかりえないんだけど、わずかな情報をたよりに理解しようとする葛藤はいつも感じているけど、ついつい子どものことをわかった気になってしまいます。分かり得ないって前提を忘れちゃうんですよね。


だから子どものことを雄弁になんて僕は語れない。そうかなぁ、そうかも、ぐらいです。


そのことを思い出させてくれるいい機会なのが僕にとっての授業を参観する意味の一つです。


授業を参観すると分かった気になる自分の傲慢さに気づかせてくれます。


そして、またそのことを忘れちゃうんだよなぁ

 

そんなもんです。