坊主先生は嘘つかない

子どもも教師も夢中になる学級経営や、校内研修の解説書です。僕の全てを伝えます。誰でもできます。

輪になるということ

人と話すのは難しい

 

自分の心が忙しくなる。不安になったり、聞くのに疲れたり、違うことを考えたり、深く共感したり、何を話そうか思案したり

 

とにかく忙しいのだ。

 

心を亡くすで、忙しい

 

人一人と対話するってすごくエネルギーを使う。

 

対話的な学びと教育の世界で言われる。

 

全ての学習が対話的だと、すごく疲れるだろう。

 

話したくない時は話さなくていい。沈黙が許される、分からないが許される、だれか話すのが得意な人たちが中心になるんじゃなく、声なき声も届く場

 

そんなことを考えている。

 

輪になる。

 

その昔、大切な火を囲み語り合ったといわれる輪

 

ぐるぐる回る

 

順番にボソボソって話し始める、そんな瞬間を大事にしたいって思う

 

輪になって話すのは、見た目は学校がイメージする対話じゃないかもしれない。誰かに応答し合うことより、ただ話し、ただ聞くだけ。

 

ただ、そこにあるということ

 

それだけが認められるそんな場がたまにはあっていい

 

朝の会で輪になって座る。ちょっとした話題で順番に話して朝がスタートする。

道徳の時間に、テーマについて順番に話す

 

そんな些細なことを大事にしたいって思う

 

 

 

 

深い学び

深い学びとよく言われます。

 

深い学びとはいったいなんでしょうか?

それ以上掘れないような学び?

深いとか浅いとか誰が決める?

 

うーん。なんか、哲学的、、、

 

答えがなさそうです。

 

教科を学びながら答えのない問いに出会っていくような学びがいいなって思います。

 

社会で工業を学んでいたら、工業の発展でほんとに私たちの暮らしはよくなったのか?なんて、議論をしてもいいなと思うのです。

 

毎朝、クラス会議をしています。たまには、そんな中でも、答えのない問いをみんなで話してみてもいいかなって思います。

 

学習財にどんな価値を見出すのか、そんなことを考えると面白そうです。

 

この本を読んで感じました。

 

哲学の使い方 (岩波新書)

哲学の使い方 (岩波新書)

 

 

哲学がいったいなんの役に立つのか?そんなことを考える必要がないのか?

 

そんなことを考えさせられました。

 

おとなの背中

昔は分からなかったこと。今は身にしみて分かること。

 

そんなことがあります。

 

僕らは生まれてからずっと誰かとのかかわりの中で生きていて、時にはそれが鬱陶しくなったり、時には激しくそれをもとめたり、平穏に過ごしたり、、

 

何かを学ぼうと思って学ぶこともあります。学ぼうって思っていなくても、心が惹かれていくこともあります。その時はこのやろーって思っても、後で納得できることもあります。

 

誰かの背中。

 

いつの間にか、僕らの中にどんどん溜まっています。

 

 

おとなの背中 (単行本)

おとなの背中 (単行本)

 

 大好きなエッセイ集です。

 

僕は、ちょっとした時に何度も手に取ります。

 

  子どもたちの毎日も、苦しいこともあれば楽しいこともある。その全体を「崩壊」「危機」といったおどろおどろしい言葉で包み込んでしまうこと、そういう声にみながいっしょに乗ることに、わたしには少なからぬ抵抗がある。

  が、他方で、教育についての議論は、話が軽すぎる。「生きる力」とか「体験学習」だとか「食育」だとか、かんたんに言いすぎる。「環境にやさしく」「地球にやさしく」「共感と共生」「ちょボラ」などという、子どもだってすぐにその「偽善」を見抜くような軽いキャッチコピーが、教育の現場に持ち込まれすぎる。

 

今回はここを何度も読み返しました。問われているのは大人の誠実な姿。

生きることは、ずるいことも、さぼることも、がんばることも、逃げることも、助け合うことも、いろんなものを包含している。正しいことばかりを綺麗に言葉で伝えるのではなく、生き様を語り、見せ、一緒の時間を過ごすという誠実な姿が大事なんじゃないかと思う。

 

それは、互いの信頼やつながりを生む。

 

人間関係は技術じゃないということを忘れずに。それを分かった上での技術なんだと思った。

 

もっと自分の生活のこと、最近読んだ本のこと、友達のこと、いろんな話を教室でしていいんだと思う。

子どもは分からない、でも分かろうとする

子どものことが分かりたいって思います。自分も子どもだったようにまた一緒にあーだこーだ言いながら生活できたらって思います。

 

でも、悲しいことに僕は歳も取り、中年真っ最中なわけです。

だから、一緒のようには過ごせない。

 

それだから、子どもの言葉や表情や行動でなんとかその子のことを捉えようとする。

あの子は、こんな気持ちかなとか、いろいろ考える。

 

でも、その子の心の動きはやっぱり分からない。分からない前提にたって、理解しようとしている。

 

だから、悩むし、答えはないし、葛藤します。ただ、おかげで決めつけないようになりました。

 

僕の目には今、こう映っただけで、その子の全てが分かるわけがない。映った情報をたよりに、こうしよう、ああしようって即興的に考えていくのが僕らの仕事だ。

 

うまくいかないことだっていっぱいある。

 

 

 

クラス会議のきっかけ

クラス会議をするきっかけは仲間と読んだこの二つの本でした。

クラス会議で学級は変わる!

クラス会議で学級は変わる!

 

 

クラス会議で子どもが変わる―アドラー心理学でポジティブ学級づくり

クラス会議で子どもが変わる―アドラー心理学でポジティブ学級づくり

  • 作者: ジェーンネルセン,H.ステファングレン,リンロット,諸富祥彦,Jane Nelsen,H.Stephen Glenn,Lynn Lott,会沢信彦
  • 出版社/メーカー: コスモスライブラリー
  • 発売日: 2000/10/01
  • メディア: 単行本
  • 購入: 8人 クリック: 23回
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見よう見まねでクラス会議を続けてきて、自分も学んだことがあります。

 

まず、子どもがこの時間を大切に、そしてたのしみになってくれているなぁって思います。

 

フランクなリラックスできる場をつくるためには、教師の笑顔や、振る舞いということも大事です。そして、なぜクラス会議をするのかを、語ることです。思いを共有するって大事です。

 

仲良くなりたい。

支えあっていこう。

安心して自分の話ができるクラスにしよう。

 

そんなことを折に触れて話しています。絵本を使うのもいいです。

 

あとは、毎日毎日、やることがコツです。毎日やるから慣れてきます。