プロジェクト学習は目的意識が肝
首藤 久義さんより、目的を意識し、目的を目指して活動し、目的を達成して終わる。
プロジェクト学習の肝は、子ども達が本気でやりたくなるような目的を探し出すことにつきる。
探し出すのは、教師であろうが子どもであろうが保護者であろうが誰でもいい。どこにアイデアが転がっているかは分からない。
子ども達は、目的を達成しようとする中で、今の状況を振り返る。これがまさにreflectionといえる。
プロジェクト学習は、実はとてもシンプルなのだ。
僕らの評価の観点は、その子が満足しているかどうか。子どもを見ながら、適宜、軌道修正すればいい。
評価観点を明らかにして行うルーブリック評価とは似ても似つかない。
とはいえ、ルーブリックが悪いわけでもない。それは、教師側の目的による。例えば、進級試験や受験などが目的であれば、評価観点は明らかにして公平を期すほうがよいだろう。日常の活動では、ルーブリックを使わないといけないような場面は少ない。もっとおおらかで良い。
プロジェクト学習を提唱した、キルパトリックの言葉を借りるなら、「多くの人々が教育を受けてしかもなお、書物を嫌い、考えることを嫌っているではないか」
ボクにこの言葉が突き刺さる。
プロジェクト学習は、知識・理解を否定するものでは全くない。むしろ、知識・理解を獲得することは、自立的な学び手には必要不可欠な要素だ。どのような文脈の中で、知識・理解を得ていくかが大事なのだと思う。プロジェクトの場面である時もあれば、受験というプロジェクトの場面でもある。
寺子屋の次のプロジェクトは、「好きなことのお裾分け」
自分が知っていること、ハマっていること、好きなことを、文章にして本にしていく。
エッセイストごっこだ。
ごっこ遊びでいい。これを本物志向にするとプロジェクトは見栄え主義になってしまう。