校内研修の作り方①
校内研修をデザインする際にはまず目標を設定することが大事です。
例えば、職員が笑顔になる研修
笑顔になるには、遊んだりお喋りが必要
じゃあ、どんな遊びしようか、どんなお喋りの場を作ろうか?
研究部を中心に素案を作ります。何ができそう??
そんなことをスタートにするといいなって思います。
まずは雰囲気づくりが最初です。
遊びのオススメ ベスト3
第3位 共通点見つけ
三人ぐらいでお互いの共通点を見つけます
第2位
じゃんけんであいさつ。できるだけ多くの人と関われます
第1位
ハブユーエバー お互いの共通点が可視化されます
互いを知り合うと仲良くなれるものです。そこから始めてみませんか?
この本はとても使いやすいです。
クラス全員がひとつになる学級ゲーム&アクティビティ100 (ナツメ社教育書ブックス)
- 作者: 甲斐崎博史
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プロジェクト学習 2
あけましておめでとうございます。真夜中に娘のアンパンチで起きました。最高の目覚めです・・・
バイキンマンと思われているようです。
さてさて、今はすっかりプロジェクト学習に魅了されています。
キルパトリックさん(デューイという教育哲学者のお弟子さん)がWholehearted purposeful act(全身全霊の目的のある営み)とプロジェクト学習の真髄を表現しています。
プロジェクト学習と聞くと、何か大きなプロジェクトをイメージしてしまいますが、大きなプロジェクトは目的を達成するまでに時間もかかりますし、なかなか壮大で計画するのも難しいところがあります。
キルパトリックさんの学習の4段階のプロセスは、目標や目的をもつ段階 → 計画を立てる段階 → 計画を実施・遂行する段階 →最終目的に照らし合わせて結果を評価・評定する段階 とされているようです。
これも首藤先生に教えてもらいました。
そう考えると、一つのプロジェクトで一回しか4段階のプロセスしか回りません。これが3ヶ月のプロジェクトだとすると、3ヶ月で学習サイクルは一回しか回らないことになります。
キルパトリックさんのいうプロジェクトは壮大なものだけではなく、日常にある些細な出来事も含みます。そう考えると小さなプロジェクトが同時並行している感じになります。それだと一つのプロジェクトの期間が1日で終わるものもあれば、映画づくりのような半年かけてやるものなどいろいろあります。
そう考えると、何度も何度も学習のサイクルが回ることになります。僕はそうのように今考えています。
吉田新一郎さんにプロジェクト学習の学習サイクルについて意見をもらって、自分なりに整理した今の考えです。
例えば、一月からうちのクラスで行うプロジェクトはこんな感じです。
・雑誌づくり全5時間程度
・漢字辞典づくり(学期末まで)
・情報番組を作ろう 全8時間程度
・映画づくり(学期末まで)
・その場くん全4時間程度
割と大きなプロジェクトが並んでいます。日常の小さなプロジェクトをしていくのがまだまだ課題なのが分かります。
やらなければいけないこと。例えば、書初め大会や縦割り活動などもプロジェクトといえなくもないですが、wholehearted purposeful actという点を踏まえると、与えられたプロジェクトは全身全霊で取り組むのが難しい子もいるでしょう。
なので、プロジェクトに含みません。
とはいえみんなで始めたプロジェクトだって夢中になれない時があるでしょう。この時に、何が夢中になれない要因になっているのか、もし夢中になれないならどうするのかを考えていくことが大事だと思っています。
学びは子どものものとするなら、そこに覚悟が必要でしょう。面白くなくなったらやめるという潔さも必要です。
プロジェクトの中でどんな学びが生まれるのか、いくつかの工夫は必要だし提示することは大事な僕の仕事です。いくつかのサンプルを見せることもです。提示する例が多いほど子供達はさらに自由になるようです。大村はまさんは200の例を見せていたと教えていただきました。
もちろんプロジェクトだけが学習時間ではありません。学年でやらなければいけないこともありますし、テストだってあります。それも組み合わせていく。日程を見ながら見通しをもてるように計画を立てることも大事になりそうです。
こんなことをしなくたって、学級も回っていくんだと思うけど、自分に波風を立ててチャレンジしていきたいって思います。ワクワクするからだし、どうせやるなら子供が楽しい方がいいなって思います。自分もです。
プロジェクト学習
Wholehearted purposeful act =全身全霊の目的のある営み
これはキルパトリックさんの言葉です。
昨日は、首藤久義先生とキルパトリックのproject methodを原書で少し読みました。
英語を読むことに慣れていないけど、首藤先生のガイドもあり楽しく読みました。
その中での言葉です。
意味のない繰り返しより、〜たいからスタートして、目的意識をもって取り組むこと、だから知りたくなるしもっとやりたくなる。その中に学びが生まれるんだって思います。
100年前に書かれたこの論文が今なお新しい。自由があるということはこんなにも素晴らしい。
そして、論文の中にはif〜 という文が出てきます。キルパトリックでさえも断定的に何かを語るのを避けている。とても誠実な態度だと思います。これも首藤先生と読まなかったら気付かなかったでしょう。学ぶとはほんとに共に学ぶことです。
原書で読む意味はそこにあると思います。
子どもが自分たちがしていることの目的が分かり、やりたいとか工夫したいという気持ちが持続できるような学びがやっぱりしたいって思います。
どんな教え方をしても、学び方をしてもたいして変わらないかもしれません。でも、やっぱりワクワクできるようなことをしたい。
生活の中に学びのタネがきっとある。
やっぱり大人になんてなりたくないなって思います。子どものことが分からなくなるからです。
先生、ほんま子どもっぽい。
そんなことを言われる先生でいたいです。
生活の中にある小さな学びの種を育てていく。そこにカリキュラムの面白さがあります。
首藤先生と話ながらいろいろ考えました。歳の離れた良き友人です。
歌集づくり
高学年にもなると好きなアーティストとかに夢中になります。僕の時代は、ミスチル全盛期でした。懐かしい
千葉大学名誉教授の首藤久義先生と仲間の先生が取り組んだ歌集づくりという実践に挑戦しました。
これは、デューイのお弟子さんの、キルパトリックさんのプロジェクト学習の考えを生かしたものだそうです。
キルパトリックのプロジェクト学習については勉強中です。
自分で好きな歌詞を選んで模写し、ふりがなふったり、分からない語句を調べたり、好きな理由やアーティスト情報を書いたり、自己紹介を書いたりします。
最後にみんなのを合わせて一冊の歌集の完成です!
やってみて感じたのは、目的が明確なので自分のペースで進めることができていました。
次に自分で選んだ歌詞というのがやりたいって気持ちを引き出していました。自己選択してます。
分からない語句を、ipadや辞典でどんどん調べます。
アーティスト情報は、とても細かく読んでて面白かったです。
歌集づくりの中に国語の大事な要素が詰まっていました。模写、語彙、感想、自己紹介。
完成度を高めるより、それを作る過程が楽しそうです。
プロジェクト学習で起こりがちなのは完成度を高めようとして、子どものペースを乱したり、やろうとしているこ以上のことを求めたりして、子どもの学びを奪うことです。
次は、本のpopづくりにチャレンジします!
楽しみです!
授業を参観するということ
人の授業を参観してる時、人は何を観て何を感じ、何を考えているかが気になりました。
何人かの方々に質問してみました。
岩瀬さんが記事にまとめています。なるほどー
というのは、授業を参観するときついつい、先生ばかり観ちゃうからです。
僕も研究主任の仕事は、良さを見つけることって考えて、先生の良いところを探すようにしてきました。
そうなると、事後研究会も先生の手立てはどうだったとか、柔らかいですねーとか、そんな話になります。
あれっ。学んでいるのって子どもなのに、、、子どものことはよく見てなかったなって感じました。先生にばかり注目していました。それだと、先生もプレッシャーを感じますし、揚げ足取りになる可能性だってあります。
子どもや先生の発言を克明に記録する授業記録をとり、それを基に分析する方法にチャレンジしたこともあります。
この方法は、一斉で話し合う授業をベースにしているので、そうでない授業の際は一人では全て記録できなくなります。そもそも記録は発言だけでいいのかという疑問も湧きます。
要は、どんな方法でもいいですが、自分の授業を参観する目的について少し考えておきたいなって思いました。
校内で授業を参観する際は
先生の良いところを探したい
子どもが生き生きした姿を探す
子どもが生き生きしていない姿を探す
この子がどんなことを感じているのか想像する
こんな感じでしょうか。生き生きした姿を生んだのはなんでかなぁとか、生き生きしていない学びにしているのはなんでかなぁとか。これは、協議会につなげる視点です。
僕の興味が惹かれるのは、一人の子の表情や仕草や言葉を見ながら、その子のことを想像することです。
日頃、授業をしていると一人の子を45分間ずっと考え続けることはできないからです。
少しでも子どものリアルに近づきたいって思うからです。
想像したから、それが何に役に立つってわけじゃないんですが、ゆっくり子どものことを考える貴重な機会です。
そんな時、僕の紙には、その子の表情や仕草、言葉とかそんなもんが記録されてます。
それを見たときの自分の感情もです。
自分が集めたノンバーバルな情報も含めた情報をたよりに、自分が感じ、考えるしかない。めちゃくちゃ主観です。
人のことって結局わかりえないんだけど、わずかな情報をたよりに理解しようとする葛藤はいつも感じているけど、ついつい子どものことをわかった気になってしまいます。分かり得ないって前提を忘れちゃうんですよね。
だから子どものことを雄弁になんて僕は語れない。そうかなぁ、そうかも、ぐらいです。
そのことを思い出させてくれるいい機会なのが僕にとっての授業を参観する意味の一つです。
授業を参観すると分かった気になる自分の傲慢さに気づかせてくれます。
そして、またそのことを忘れちゃうんだよなぁ
そんなもんです。